伊豆石の里を訪ねる(伊豆・下田)
まちこん伊東が主催する、まちづくり講座「伊豆を学ぶ」。
歴史・産業遺産下田の町並みと石切丁場跡遺跡見学に参加しました。
下田市民文化会館会議室で、建部先生より下田の建造物などについての講義後
専門家の方の案内で、街歩きをしました。
初めに向かったのは了仙寺。
1635(寛永12)年、第2代下田奉行・今村伝四郎正長によって創建。
幕末に、ペリーと幕府との間で日米下田条約が締結されたお寺です。
境内の裏側には、横穴遺跡の洞窟があります。
今から約1300~1400年程前、古墳時代にお墓として利用されていたと考えられており
洞窟内より人骨とともに、幻玉や水晶製の腕輪や耳飾りなどの装身具・土師器・須恵器が
出土されています。埋められた副葬品の質や量からみて、この地域の有力者のお墓であると
考えられているそうです。
洞窟の横にあるバクチノキ(=博打の木)。
樹皮がはげ落ちて木肌が露出することから、博打に負けて丸裸にされることのたとえで
名付けられたそうです。
本堂・横穴遺跡までは段差がほとんどないので、車椅子での見学ができます。
山門から本堂を見ると、こんな感じです。
ペリーロードと呼ばれる石畳の小道沿いには風情ある町並みが続き、なまこ壁や伊豆石を使った
古い建物がオシャレなカフェや雑貨屋さんになっています。
伊豆石の蔵も残っています。
1914(大正3)年に建てられた草画房さんは、cafeとして営業しています。
平滑川沿いをのんびりと散策して、お気に入りのお店を見つけたいですね。
続いて、旧澤村邸。1915(大正4)年に建てられた邸宅です。
伊豆石の石塀と、美しいなまこ壁。
ペリーロードは段差が殆どありませんが、入口には段差があります。
町中には、様々な表情を持つ伊豆石が使われている建物を見ることができます。
デザイン性があり、美しい模様ですね。
天然温泉の昭和湯。
蔵をそのまま利用しているお宅もあります。
創業明治22年の土藤商店。
当時の冷蔵庫も今は電気で冷やしていますが、現役で活躍していました。
お店の方のご好意で、店内を見学させてもらえました。ドラマのセットみたい。
保命酒を買えなかったのが残念です。
こちらは、江戸時代末期に建てられた松本旅館。残念ながら、現在営業はしていません。
廻船問屋を営んでいた雑忠のお屋敷。側面のなまこ壁に圧巻!
なまこ壁は、防火・防湿のための土壁に瓦をはめ込み、その継ぎ目に漆喰を盛り上げて固めたもの。
生命・財産を守るために主屋にはなまこ壁と伊豆石を、蔵には伊豆石が使われています。
正面がお店の入口。両サイドは戸袋になっています。
室内も、特別に見学させてもらうことができました。
当時使われていた今では貴重な道具類が、そのまま大切に保管されていました。
土間にも、伊豆石が使われています。
安直楼は、唐人お吉が料亭を営んでいた、江戸時代末期の木造2階建ての建物です。
「事情につき当分休業致します」と、張り紙がありました。
下田市民文化会館をスタートして、ここまでの見学場所とトイレの地図。
車椅子で利用できるトイレも、数カ所ありました。
町歩き後お楽しみのランチタイムは、欠乏所跡のカフェレストラン平野屋さんでいただきました。
昼食後に向かったのは、石切丁場跡。特別に許可を得て見学させてもらうことができました。
石の壁の間を歩いて・・・エジプトみたいでした。
大きな柱を残しながら、掘り出した様子が伺えます。
そして最後は、弁天島の斜交層理を見学。
周辺で見られる縞々の地層は、数百万年前に海底火山から噴出した火山灰や軽石が
波や海流によって運ばれてできた地層です。
貝殻の化石も見ることができます。
海側からも見学。
一部、海岸に剥がれ落ちている箇所もありました。
下田龍神宮は、海に向かって建っています。
生物が掘ったり這いまわったりしてできた「生痕化石」も確認できます。
駐車場から弁天島までは段差がないので、車椅子でも見学ができます。
この先の高台から海を眺められますが、階段しかないので車椅子のままでは行けません。
眺めは、こんな感じです。
山側の駐車場も一部分ですが、斜交層理を見ることができます。
砂利道ですがスロープがあるので、車椅子で大丈夫だと思います。
吉田松陰先生像・三島神社。
神社の向かいは、この眺めです。段差もほとんどありません。
今日は駆け足で見学しましたが、下田には見どころがたくさんあるので時間をかけて回りたいと思います。